本の感想「坂の途中の家」角田光代

「坂の途中の家」角田光代朝日新聞出版)

 主人公の女性は幼い女の子の母親で補充裁判員に選出された。担当する裁判は若い母親が被告で、自身の幼い娘を殺害した容疑。主人公は子育てする中で日々感じる困難や心的な疲弊と向き合っていて、裁判が進むにつれて被告の心情や行動に自分自身を重ね合わせていく。ストーリーはその心情を入念に追う。角田氏の作品は久しぶりに読んだが、こういう心理描写の連続はこの作者の得意とする仕立てだ。他の裁判員とのやり取りでも主人公の心情は激しく揺れ動き、この裁判に参加すること自体が耐えがたい重圧にも感じてくる。

 裁判員制度が始まった時に、この制度は裁判を国民の身近なものにするという目的があった。アメリカなどのように陪審員制度が古くから定着している国もあるから、この制度はそれなりの実績があることは確かである。だけれども、私は「裁判を国民の身近なものにする」という意図を達成するには必ずしも最適な方法のひとつではないような気がしている。とりわけ、裁判員の選出の仕方は無理がある場合があるだろう。私自身も、もし在職中に裁判員に選ばれたとしても、拒否できるならば拒否したに違いない。数日間職場を離れれば、誰かがその分の仕事を(不承不承に)肩代わりするか、自身が後で埋め合わせするかになる。多くの職場では後で本人が埋め合わせることになるのだろう。その辺りの事情が現場感覚で十分に斟酌されていないのではないか。国民が司法により関与することが重要であれば、裁判員裁判の実情をもっと積極的に開示していくべきだとも思う。

 この小説を読みながら、ずっと裁判員制度のことを考えずにはいられなかった。