本の感想「ポストコロナの生命哲学」福岡伸一、伊藤亜紗,藤原辰史

「ポストコロナの生命哲学」福岡伸一伊藤亜紗,藤原辰史(集英社新書

 ヒトとウイルスは共存する関係にある。だから新型コロナウイルスの対応として「戦い、打ち勝つ」というのはそもそも間違いだ。この度のコロナウイルスも撲滅できるものではないし、これからも変異し続ける。ということは科学的に間違いのない知見である。とは言うものの、人間社会にはそれなりの「都合」というものがあるから、日本政府は5月に「2類から5類」へと対応策をシフトした。これは100%人間の都合であり、ウイルスの振る舞いにはいささかの変化もない。これからもパンデミックは起こるのだから、それにどう対応するかを私たちはよくよく考えなければならない。

 A.カミュの「ペスト」と、それよりも時代を遡るD.デフォーの「ペストの記憶」を読んだことがある。「ペスト」の方が「ペストの記憶」よりも医療が進んでいる。デフォーの作品中では医療と言ってもむしろまやかしみたいなものだった。治療としては瀉血ぐらいしかなく、治療を施すことで症状を悪化させていた。人々はペストから逃げようとして右往左往するしかなかった。カミュの作品中では都市閉鎖があるから、この度の新型コロナの対応との共通点がある。デフォー、カミュ、COVID19と並べて見れば、社会状況としては相違点よりも共通点の方が目立つように思える。結局のところ、私たちもただ右往左往したということを否定しにくい。そして、パンデミックがある程度落ち着くためにはには一定数の死者数が必要ではないかとも想像してしまう。諸外国で死者数が多かったところは落ち着きも早かった。死者がウイルスの拡散をせき止める役目を果たしていたようにも見える。対ウイルス弱者が淘汰されれば、対ウイルス強者が生き残るという非情だが非常にシンプルな仕組みがあったのではないだろうか。だとすれば犠牲になった人々は、生き残った人々にとって「利他的」であったとも言えるのかもしれない。

 ウイルスとの共存には優秀な医療のみならず、深遠な哲学が要る。