本の感想「人は死ぬから生きられる」茂木健一郎・南直哉

本の感想「人は死ぬから生きられる」茂木健一郎・南直哉(新潮新書

 「脳科学者と禅僧の問答」というサブタイトルが付いている。大変興味深い対話であるがかなり難解なところがある。南氏は茂木氏をかなり仏教的な思想に接近していると評す。それは科学者としてはある意味で自己矛盾に接近しているかもしれないと説く。「生と死」「分かることと分からないこと」は両方とも後者が基盤になっている。すなわち、死があることで生があり、分からないことがあるから分かることがある、と考えている。宗教者にとってはそれでよいのだろうが、科学者としてはこの考えかたには基本的には馴染まないのだろう。「生」も「分かること」もより絶対的な基盤である「死」と「分かること」を決して凌駕することはないというのは極めて仏教的な考えだと思われる。

 座禅について南氏が語ったこと。「座禅が始まり、自意識が解体していくと、例えば音が聞こえても、どこで聞こえているのか、わからなくなる。さらに意識を視覚から聴覚、聴覚から皮膚感覚に落とし、最後には内臓感覚にまで落とすと、皮膚の中と外の感覚がわからなくなっちゃうんですよ。足が痺れて痛くなっても足の位置がもうわからない。壁の向こうの方がいきなり痛くなったりする。さらに意識が落ちると、体の後ろに意識がぬけちゃう。そうすると、通常の現実を秩序立てている内と外の区別は、もうまともな言葉ではいえなくなっちゃうんです」。座禅を体験したことはないが、こういうものだったのかと知ることになった。