本の感想「国籍と遺書、兄への手紙」安田菜津紀

本の感想「国籍と遺書、兄への手紙」安田菜津紀 (ヘクレーカ)

 著者は父親が在日コリアン2世だったことを知り、そのルーツをたどる取材を始めた。両親は著者の幼少期に離婚しており、その後は時々会う関係が続いたが中学2年の秋に自殺した。父親がコリアン2世だったのを知ったのは、高校2年の時。それ以降長い時間をかけて父と祖父母の人物像を探求していく。少ない手がかりしかないなかで協力者も現れて次第に明らかになってくることがあった。自身のルーツを探る動機というのは何なのだろうと考える。例えば、安田氏のように親が外国にルーツを持っている場合にはその動機が発動しやすいのかもしれない。自分が生まれ育った国ではないところに親のルーツがあるのだから。私にはそういう動機というのは想像してみることしかできない。父親の両親は早くに亡くなっていたこともあり会ったことすらない。今となっては辿っていくための手がかりになる人もいないし、探ってみたいという動機もない。

 取材と並行して外国人差別ヘイトスピーチのことにも触れる。関東大震災の頃から同じようなことが繰り返されてきた。昨今はSNSの発達により流言飛語も拡散し易い。ネット・リテラシーの成熟はそれに追いついていないから、問題は解決しにくい。

 「この社会に存在する国籍や出自、ルーツや文化の「違い」は、「なくすもの」でも「乗り越える」ためのものでもない。だからこそ「皆、地球人」という、フラットに均らしてしまう語りにも違和感がある。違いが違いとして、ただそこに自然と存在することができる社会が、生き心地のいい場所なのだと、私は思う。」