本の感想「人を動かすナラティブ」大治朋子

本の感想「人を動かすナラティブ」大治朋子(毎日新聞出版

 最初に紹介されるのは養老孟司氏とのインタビューである。養老氏のナラティブの解説は「ナラティブっていうのは、我々の脳がもっているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね。(中略)過去に起こった非常に長い時間の出来事をどうやって凝縮して伝えるか。物語形式以外の形式を人間は持っていないんです。ちょうど言葉っていう形式がひとつしかないように。必然的に物語になるわけです。」ということである。能の活動がナラティブという形式に制限されたものだという大前提を理解して先に進む。

 本のタイトルの「人を動かす」を深堀していくと、人はどういうナラティブで動かされるのか、ある主体がどのようにしてマインドコントロールをするのか、という現状分析に繋がる。とりわけSNSが発達している現状を著者は次のように捉えて警鐘を鳴らす。「現代SNS社会においては、中心の小ナラティブが持つ潜在的な可能性(ポテンシャル)は巨大化したが、コロナ禍などに伴うオンライン重視の環境変化ともあいまって、家庭や学校、会社やコミュニティが提供するスペースは縮小し、個人の孤立・孤独が深化し、人々の関心はより内側、個人の内面へと向かいつつある。(中略)SNSという現代社会特有の「デジタル拡声器」を手にした私たちは、中・大ナラティブに隷属する必然性や組織への帰属意識を低下させた。だがその結果、自由になったのと引き換えに、今まで以上に地に足のつかない、寄る辺ない、ふわふわとした孤独感や孤立感を抱いているようにも感じる。」*中心の小ナラティブとは個人が発するナラティブのことでその外側に中ナラティブ(家族や職場などのコミュニティで共有されるナラティブ)があり、その外側にはより大きな大ナラティブがある。

 すでに実用化されている具体的な集団マインドコントロールにもいくつか言及してある。米国国防省には国防高等研究計画局(DARPA ダーパ)という研究機関がある。「ダーパは、紛争解決やテロ対策にはナラティブがもたらす脳反応を追跡可能にする技術が必要で、そのための「検知ツール」の開発が必要だと考えたようだ。最終的に目指すのは集団の脳反応を認識することも可能な技術で、「海外での情報工作」のために開発を進めているとしている。(中略)おそらくダーパが目指すのは、特定のナラティブに対する敵対勢力の脳反応やそれに基づく行動をAIで予測し、必要に応じて新たなナラティブを生成・拡散させ、標的とする集団の行動変容を促すことのできる技術の開発だ。その際、SNSで「望ましくない」ナラティブを「望ましい」ナラティブに書き換えるだけでなく、個人や集団の脳内にも何らかの方法で侵入して、ナラティブの書き換えを行う。これはつまり脳を攻撃し、思考をハイジャックし操作する攻撃でもある。」

もはやSFの領域と重複してくるようだ。砲弾やミサイルの攻撃ならばその被害は見てそれと分かるものだが、ナラティブの書き換えというのは手際がよければよいほど、可視化されない。攻撃を受ける側は攻撃されたことすら気づかない。対抗するにはナラティブの書き換えの可能性を検知するAIを開発することになるのだろうか?だとしても終わりのないイタチゴッコになってしまう。

 「リアルで危うい近未来」だとしてケンブリッジ・アナリティカの研究部長を務めたワイリー氏が述べた。「赤ん坊が生まれると同時に家中のセンサーがこの「新しい生物」のプロファイリングを始める。AIが休むことなく行動を観察し予測する。周囲のデバイスが競ってその赤ん坊が見るべきテレビ、聞くべき音楽、楽しむべき動画を選び、その成長や発育の方向性まで決めてしまう。あなたは育てているつもりでも、実はアルゴリズムが赤ん坊を育てている。人間は環境の産物だ。デバイスはまるでストーカーのように私たちの行動を観察し、何をすべきかを提案し、アイデンティティはその人のブラウジング履歴に置き換えられ、アルゴリズムにより自在に変えられていくだろう」

 果たして、このアルゴリズムの意図するところは一体何なのだろう?どこかに潜んでいるマスターマインドが決定する方向性なのだろうか?そのマスターマインドさえもアルゴリズム支配下にあるかもしれない可能性も否定はできない気がする。ワイリー氏の描く近未来はすこぶる混沌としていて危ういのかどうかも曖昧模糊としているようだ。with coronaと同じようにwith algorithmとしてやっていくしかないのだろうか?