本の感想「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」佐々涼子

本の感想「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」佐々涼子早川書房

 2011年の震災で被害を受けた日本製紙石巻工場の復興を綿密に取材して書かれた傑作ルポルタージュ。工場は津波に襲われて完全に機能停止した。水没した工場の敷地や建物内には瓦礫が大量に残り、構内で見つかった遺体は41体を数えた。最後に見つかったのは女子中学生で気候が温かくなってからの発見だったので損傷は酷かったという。被災当日の様子から、避難所の状況、街の様子を被災者へのインタビューから克明に描く。当時の一般的な報道ではあまり伝えらなかったことも記されている。主に外国メディアの視点から、集団暴徒化した略奪はほぼなかったということがある種の驚きと称賛をもって伝えられたが、実際には小規模の集団による略奪や店舗破壊などは起こったという。遺体の指を切断して指輪を奪う外国人たちがいる、というデマも広まったという。そういう石巻の状況下で工場の復興に尽力した人たちのパフォーマンスは並大抵のものではなかった。

 本を作る紙を製造することへの誇りは、例えば次のような記述に読み取れる。「触れることや嗅ぐことに関しては、今まであまり注意を向けずにきたのではないだろうか。しかし、紙の本の肌触りや香りは、文章の中身を理解し、記憶するのにも役立っている。(中略)些細で意識もしていないが、実は紙の本に触れることによって得られる周辺の記憶や痕跡すべてが、文章の理解や記憶に影響を与え、我々に一層深い印象を刻みるけるのである」工場で働く人たちが抱く矜持である。

 震災後、私たちの生活の中で特に紙の供給が不足したということはなかったと記憶している。出版業界ではリスクヘッジのために使用する紙を幾つかの製造会社に分散している。日本製紙も自社他工場への業務委託をするとともに、同業他社への協力も求めた。例えば、王子製紙の対応。「どんなことをしてでも、日本製紙さんの分まで出版用紙を最優先で作ります」ライバル社からシェアを奪うという目論見ではない。「困った時はお互い様だから」という同業者との信頼関係があった。例えば、角川書店の会長の弁。「日本製紙さんの技術と品質に関する考え方は十分に理解できているから、テストはいらない。石巻の品質を再現できていると我々は確信しているから、富士工場さんで作ってくれ」

 奇跡のようなスピードで復旧が進み、僅か半年後には工場の一部が再開した。同じことは二度とできないと、復旧に関わった人々は後述している。

 復旧後最初に動かした機械は「8号抄紙機」でこのマシンの主任だった佐藤憲昭はこう述べている。「衰退産業だなんて言われているけど、紙はなくならない。自分が回している時はなくさない。書籍など出版物の最後のラインが8号です。8号が止まるときは、出版がダメになる時です。ネットが全盛の世の中ですが、もしかしたら、サーバーがパンクして世界中の情報が消失しちゃうということだってあるかもしれないでしょう。その日のためにも、自分たちが紙を作り続けなければと思っています。娘とせがれに人生最後の一冊を手渡すときは、紙の本でありたい。メモリースティックじゃさまにならないもんな」

 本当の大事を成し遂げた人たちの言葉には人の心を動かす確かなパワーがある。

 著者の佐々氏は現在、悪性の脳腫瘍と診断されていて抗がん剤治療を受けている。この病気の平均余命は2年に満たないと言われている。27日付の毎日新聞で著者に池上彰氏がインタビューした記事が載った。佐々氏はこう締めくくっている。「人生には限りがあるーー。それを皆さんに気が付いていただくことが、私の大事な役目だと信じています」