本の感想「その世とこの世」谷川俊太郎、ブレイディみかこ

本の感想「その世とこの世」谷川俊太郎ブレイディみかこ岩波書店

 二人の往復書簡で、谷川氏は詩を返信する形になっている。谷川氏の詩作が好きな人にとっては垂涎の一冊となるのだろう。谷川氏の詩は残念ながらよく分からないのだが、往復書簡になっているために理解のヒントはある程度担保されていると思う。熟考すれば何か分かってくるともあるのだろう。だが、詩の特性というのは、瞬時に読み手に突き刺さる力なのだと思う。つまりピンとこなければその詩とは相性が悪かったということだ。分かるまで熟読しようなどと考えない方がいい。いつかまたその詩を読んだときにもしかすると突き刺さってくることもあるのかもしれない。

 書簡はブレイディ氏が先手を取り、谷川氏へあてた手紙から始まる。その中で紹介されている英国でのある出来事は大変興味深い。

 コロナ禍で英国内の医療現場が切迫していた時の事。コロナでない重い病気を患っていた初老の男性が危険な状態に陥り、パートナーの女性は救急車を呼んだ。到着まで何時間もかかり男性は亡くなってしまった。救急隊員が死亡を確認し、女性は床にへたりこんで涙をこぼした。一人の女性救急隊員が彼女に近づくと、「紅茶にミルクと砂糖は入れますか?」と問うた。女性は虚を突かれたような表情で反射的に「ミルクだけいれます」と答えた。女性隊員はキッチンで紅茶をいれて泣いている女性にマグカップを渡した。女性は黙って飲み始めた。穏やかな表情で。

 女性隊員の対応は見事だと思う。人はどんな窮地にあっても普段オートマチックにやっていることならば普段通りに行動できるものなのだ。その仕組みを利用してパートナーを失ったばかりの女性も落ち着きを取り戻すことができた。ブレイディ氏はこういったごく日常的なことを「地べたの事」と表現する。「地べた」を巧みにキャッチして表現するのが上手いライターだ。