本の感想「僕はなぜ一生外国語を学ぶのか」ロバート・ファウザー 稲川右樹 訳

本の感想「僕はなぜ一生外国語を学ぶのか」ロバート・ファウザー 稲川右樹 訳(クオン)

 著者はアメリカ人でミシガン大学では日本語と日本文学を専攻した。若い時分から多言語の学習をしてきたマルチリンガルである。この本は韓国語で書かれたもので、稲川氏はかつて著者から韓国語を習った経験を持つ。日本の大学で英語と英語教育を教えた後で韓国語教育に転じて鹿児島大学で教養韓国語の授業を受け持った。外国語教育に携わった経験も踏まえて、著者自身が外国語を学ぶことについての様々な見識や体験を述べている。傾聴に値する内容が満載である。

 「AI時代、外国語学習は果たしてどんな意味があるのか」に対しては、「少なくとも僕と読者のみなさんが生きていく21世紀までは必要だ」と答えている。「コミュニケーションと共感を前提とする対話は、多くの感情を伴う。同じ言葉でも、時と場合によって異なる意味を込めることは頻繁にある。(中略)主観的に行われるコミュニケーションと共感は、型にはまった機械的な情報や客観的な知識のようなスタイルでは使い物にならない。それには共感という過程が必要だ。」

 ともすれば、外国語学習は英語だけが特別に重要視されがちなのは日本も韓国も同じらしい。英語以外の外国語を学ぶことについては、著者はこのような見解を持っている。「新しい趣味や教養課程として楽しく外国語を学ぶのなら、いっそのことこれまであまり関心を持ってこなかった真の意味での第2外国語を始めてみてはどうだろう。(中略)私たちが外国語を学ぶ理由についても真剣に考えてみる必要がある。結論から言えば、外国語学習は、何らかの目標を達成するための手段というよりは、それを通じて教養を高め、知的好奇心を満たすためのツールになるべきだ」。日本では英語教育が始まって以来、「実用か教養か」の論議が繰り返されてきた。著者の見解はこの果てしない論争に決着をつけていると言っていいかもしれない。