本の感想「なんかいやな感じ」武田砂鉄

本の感想「なんかいやな感じ」武田砂鉄(講談社

 「群像」に2020年4月号から2023年4月号まで連載した時評エッセイをまとめたもの。著者が「いやなかんじ」を抱くことというのは、通り一遍の見方が定着してしまいやすいといういことだ。世の中で起こることはニュースなどで報道されると、やがて「これはこういうこと」というように一定の着地点に至りがちだ。それは多数派による解釈であり、少数派から見ると別の解釈がある。著者は性分として多数派に与しないことが身についている。物事をよく考えるときには複数の視点から対象を見ることが不可欠だからそこそこまとまったような事に「いやなかんじ」を持つのは大事なことだろうと思う。

 著者が高校3年の2001年の春、クラスの中で携帯電話を持たなかったのは3人だったという。著者もその中の一人だった。卒業直前に手に入れたそうだが、最後まで買わなかった一人に買ったことを告げると、裏切り者に向ける表情をされたという。「目の前に新しいツールが現れたら、ぐいぐい前のめりになってそれを使う人と、前に出ずに静止して様子見をする人に分かれるが、自分は、そのどちらでもなく、前に出ないどころか一歩か二歩下がってみせる。(中略)だが、実のところ、その遅れている感じに自分なりに酔いしれているのだ。」というのが著者のモットーだ。これには確かに共感できる気がする。