本の感想「夕暮れに夜明けの歌を」名倉有里

本の感想「夕暮れに夜明けの歌を」名倉有里(イーストプレス

 著者のロシア留学体験の回想記。2002年にペテルブルグの語学学校で学び、その後モスクワ大学予備科を経て、ロシア国立ゴーリキー文学大学を2008年に卒業した。とにかくひたすら勉強に打ち込んだことが伝わり圧倒される。これほどの傾注があればこそ練達の翻訳家としての力量が身に着いた。ゴーリキー文学大学というのは徹底的に文学を学ぶところで、学生たちは多くの作品を読むことだけでなく、文学史、批評、創作などを極めて専門的に取り組む。学習領域の広さと深さは一通りではない。著者は猛然として勉学に専念した。頭の下がる思いがする。

 何事であれ自分の人生のミッションであるかのようにあることに集中して取り組み、その道の達人になることがある。だけれども、多くの人にとっては達人の域に到達することがないのが通例だ。凡人と非凡人との違いは確かにあるものだ。凡人の一人としては世の中にはこういう非凡人の存在を知るだけでもありがたみがある。

 あとがきに文学についてこう記してある。少し長く引用するが至言である。

 「文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史のなかで繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだーーこれまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世界じゅうの文学作品に描かれてきたのかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。

 統計や概要、数十文字や数百文字で伝達される情報や主張、歴史のさまざまな局面につけられた名前の羅列は、思考を誘うための標識や看板の役割は果たせても、思考そのものにとってかわりはしない。私たちは日々そういった無数の言葉を受けとめながら、常に文脈を補うことで思考を成りたたせている。文脈を補うことができなければ情報は単なる記号のまま、一時的に記憶されては消えていく。」