本の感想「1100日間の葛藤」尾身茂

本の感想「1100日間の葛藤」尾身茂(日経BP

 コロナ対策として、政府分科会とか厚労省のアドバイザリーボードだとか行政機関がどのような記録を残しているのか分からないが、分科会で会長を務めた尾身氏が自身の記録を残して書籍化した。安倍晋三内閣では政府機関の記録の不備や改竄がしばしば明らかになったことを思えば、こういう記録本の存在は大いに意味がある。

 今はコロナが終息したというわけではないが、2類から5類にシフトした以降はコロナ絡みの報道はめっきり少なくなった。尾身氏などの専門家が定期的に現状分析を発表する必要があると思う。度々、首相の記者会見にも同席した尾身氏だが、病理の専門家たちと、政府との間に入って様々な葛藤があっただろうことは想像に難くない。例えば、政府が全国の学校の一斉臨時休校を決めた時に、「文部科学省は、専門家の判断を踏まえ(中略)一斉休業をすることとする」と発表した。尾身氏を含む専門家はこの要請については事前に相談がなかった。子供たちは地域の感染拡大の起点になっていなかったので一斉休業はあまり意味がなく、教育に対する影響を考えればマイナスだという知見があった。尾身氏の指摘により先の要請にあった文言「専門家の判断を踏まえて」は削除された。政府が専門家たちに相談することなく対策を変更したこともあった。2022年7月22日、岸田首相は「科学的知見に基いて、濃厚接触者の待機期間を短縮することにした」と表明した。この方針変更については専門家への相談は無かった。同年の8月10日のアドバイザリーボードで尾身氏はこう述べている。「重要な時期に差しかかっているとき、国が最終決定をするわけだが、それを支えるアドバイザリーボードや分科会の人たちの意見をなかなか聞く場がなくなっている」。このように専門家と協議せずに政府が独自に打ち出したことの例は他に、一斉休校、アベノマスクなどがあった。尾身氏は「政府が専門家の意見を踏まえずに政策を決定することもあり得る。ただし、医学や公衆衛生上のことが関係する場合には事前に相談してもらえば、より効果的な政策になるであろう」とまとめている。

 リスクコミュニケーションの難しさについては次の例を示している。「政府は『不都合な事実』をそれに対する対策がない中で公表することには、国民に不要な不安を与えかねないという理由で懸念をしめす傾向があった。専門家たちは、たとえ対策がなくても市民は真実を知りたいと思うだろうし、その事実を後で知れば政府に対する信頼を失うことになりかねないと考えていた」。1つの例は「呼気による感染の可能性」という表現を使おうとした時に厚労省から変更を求められて、「例外的に、至近距離で、相対することにより、咳やくしゃみなどがなくても、感染する可能性が否定できません」とせざるを得なかったという。随分と冗長でぼかしの利きすぎた言い回しになった。私は専門家の意見はそのままストレートに知りたいと思うが、情報の受け手である私たち自身が情報リテラシーにどれだけ長けているかという問題もあるから、判断が難しい。

 総括して尾身氏はこう述べている。「納得いくまで意見を戦わせる中で、単純に足し合わせるよりも合理的なアイデアが出てくる。それが葛藤を「突き詰める」ということだ。葛藤を突き詰めることによって、それまで気づかなかった、新たな地平にたどり着ける」~尾身氏らの専門家としての対応に改めて敬意と感謝を表したいと思う。