本の感想「ヒトの幸福とはなにか」「生きるとはどういうことか」養老孟司

本の感想「ヒトの幸福とはなにか」「生きるとはどういうことか」(筑摩書房

 2冊同時に刊行された。2003年以降に発行された新聞・雑誌などのエッセイから単行本に未収録だった作品から選んで2冊にまとめたもの。

 「ヒトの幸福とはなにか」から「文化の成熟とはなにか」は関東と関西の文化の違いを論じている。「諸分野のつながり、その程度こそが、文化の成熟度を測るものではないか。東京はたしかに専門家の集中するところである。でも東京大学京都大学の違いを、私は長い間感じてきた。京都大学では専門性にこだわる必要がない。文化というものの「横のつながり」が理解されているからである。(中略)文化的なさまざまな分野をつなく。それが素直にできるかどうか、それこそが、文化が「こなれている」かどうか、つまり成熟の指標だといえる。その意味で東の文化はいいものを得ているかもしれないが、まだ消化不良。西の文化はそれほど高価なものではないが、消化にいいから、ちゃんと身になる。そんな気がするのである。」と分析している。確かに西の文化にはひょいっと出てくる卓越したものがよくあるような印象がある。関西弁というのもそのことにいくらか関係しているような気もする。

 「生きるとはどういうことか」の「人生論」から引用。「(前略)「ああすれば、こうなる」というのは、いわゆるシミュレーションで、ヒトの意識がもっとも得意とする能力である。それがAIの発達を生んだ。(中略)世間がシミュレーション全盛の方向に進んでいくときに、人生をどう送ればいいのか。十歳の小学生が「良い人生とは」という質問をしてきたのである。(中略)「生き方」の指南は私の仕事ではない。古来宗教家の仕事に決まっている。宗教は衰退しているといわれるが、AIが宗教に変わったという意見もある。未来をもっぱらAIに託すからであろう。」という指摘。確かに若い人たちも年配の人たちもスマートフォンで始終何かを検索している。スマホ教のような実態がいつの間にか普通になってしまった。AIにこう質問してみたらどうだろう。「AIの将来は人間の幸福にどのように寄与しますか、それともしませんか?」