本の感想「救命センター当直日誌」・「救命センター カンファレンス・ノート」浜辺祐一

本の感想「救命センター当直日誌」浜辺祐一(集英社)・「救命センター カンファレンス・ノート」浜辺祐一(集英社

 前者は2001年、後者は2021年の出版で著者はその間ずっと救命救急センターに医師として勤務し続けている。この本はそこで対応する様々な事例を紹介したもの。著者が患者や若い医師たちへ語ることは前者では後者と比べると辛辣さがある。後者では自身も年齢が高くなり昇進した役どころになっていてずっと穏当になっている。救急救命の現場は言うまでもなく「死ぬか生きるか」が日常であり、それに対応できるスキルをもつ医師が辣腕をふるう場所だ。とりあげられているエピソードには強いドラマ性がある。処置室での緊迫した様子や医療の在り方への現場感のある考察が読みどころとなっている。

本の感想「先生、ヒキガエルが目移りしてダンゴムシを食べられません!」小林朋道

本の感想「先生、ヒキガエルが目移りしてダンゴムシを食べられません!」小林朋道(築地書館

 外れのない「先生、シリーズ」の17巻目。書名になっているヒキガエルの捕食行動についての実験は以下の通り。ヒキガエルは広めの水槽で飼育し、餌容器として実験用のシャーレを置く。最初は餌としてダンゴムシを1匹餌容器に入れる。ヒキガエルは動き回るダンゴムシに反応してしばらく凝視すると電光石火で捕食する。次はダンゴムシを2匹餌容器に入れる。カエルは餌容器に近づき2匹のダンゴムシを交互に狙いを付ける。しかし、どちらをターゲットにするかの判断がつかず結局のところ捕食行動には至らない。次に8匹ほどのダンゴムシを餌容器に入れる。「群れ」のように動き回るダンゴムシを前にしてカエルは固まってしまった。このことからは「エサになりやすい、そして、隠れることもあまりできない動物たちが群れやすい理由ではないか」という説が導き出される。ライオンがシマウマの群れを襲うとき、群れの周辺を回りながら刺激を与え、単一の個体が群れから離れてしまうようにすることがある。おそらくより逃げる力の弱い個体が狙われることになるのだろう。この実験では8匹のダンゴムシは逃避能力において顕著な差がなかったのではないだろうか。カエルから最寄りの位置にいてあまり動かない個体がいれば捕食されたのだと思うが、ランダムに動き回る8匹から最適解を選び出すことはカエルにとって困難だったのではないだろうか?

 もうひとつの印象的なエピソードはコロナ禍で大学が閉鎖になっていた夏のある日のこと。飼育していた高齢のヤギが小屋の中で死んでいるのが見つかった。見つけたのは著者だった。家畜として登録してあるヤギだったので死体を家畜保健衛生所に連れて行かねばならない。この日は金曜日だったのでこの日のうちに連れて行かなければ月曜まで放置しておくことになってしまう。家畜保健衛生所に連絡をとると17時までに連れてくるようにとの指示を受けた。ヤギ部のメンバーへLINEで連絡すると4人が直ぐに集まってくれた。大学が閉鎖になっていたのだが緊急対応で学生が校内に入ることができた。著者とヤギ部のメンバーたちが粛々とやらなければならない処置をしていく様子と一緒に飼われていたヤギたちの様子とが目に浮かぶように記されている。生き物と関わることとはこういうことなのだ。合掌。

本の感想「正しき地図の裏側より」逢崎遊

本の感想「正しき地図の裏側より」逢崎遊(集英社

 主人公が高校生の時からその後の数年間を追った波乱のストーリーである。主人公は父親と二人暮らしだった。母親は主人公が幼い頃に離婚している。父親はトラックの運転手だったが仕事中に事故を起こしたことで離職して、その後は定職についていなかった。定時制高校へ進学した主人公は働いて生活費を稼ぎ、少ないながらも将来のために貯蓄もしていた。ある時、貯めていた8万円ほどのお金が無くなっているのに気付いた。警察から電話があり父親が泥酔して保護されているから迎えに来るようにと伝えられた。父親が自分のお金を盗って酒を飲んだのだ。帰り道に父親はあることを主人公に告げた。そのことで激怒した主人公は父親を叩きのめし雪のなかに放置した。親を殺したからには自宅のある町から逃げるしかない。こうして主人公は逃亡生活に入る。故郷から十分に離れた見知らぬ町で名前を変えてホームレスたちに混じって暮らすようになった。その後、別の町に移り日雇い労働に従事する。やがて一人の年配の男性と懇意になり一緒に商売をすることになった。屋台のたこ焼き屋を始めるとその商売は軌道に乗る。ある時主人公が相棒になった男性に自分の過去の経緯を話すと、その男性も思いがけないことを話しだした。

 物語の展開が上手く一気に最後まで読むことが出来た。主人公と彼を取り巻く人々たちはそれぞれに厳しい状況にありながらも自分自身が大切にしている何かがある。とても真っすぐで細くても折れない。読みごたえのあるヒューマンドラマに仕上がっている。

本の感想「時間をかけて考える」養老孟司

本の感想「時間をかけて考える」養老孟司毎日新聞出版

 初出は毎日新聞の書評欄2005年5月~2023年12月までのもの。新聞紙上で一度は読んだはずだがこうしてまとまったものを読むと記憶に残っているものはないものだ。3つのジャンルに分けてあり、1.意識は信用できるのかー心と身体 2.問題はヒトであるー自然と環境 3.日常から考えるー歴史と社会 となっている。養老氏の書評はいつも新聞で読むが、それがきっかけで読むことになった本があまり多くない。今度は3冊選んでみた。書評もその時々の社会の出来事を反映していることもあるので、読みながらその当時のことを思い出すこともあった。2005年以降の社会の振り返るということにもなった。

本の感想「脳を開けても心はなかった」青山由利

本の感想「脳を開けても心はなかった」青山由利(築地書館

 ヒトの意識とはどう定義することができるのかいまだに定見はない。しかしこの極めて難しい問題は以前から様々なアプローチがなされてきている。とりわけ、最近では生成AIの発達からAIが意識を持つことが可能なのかという論議もなされるようになった。様々な分野の学者たちが意識についての研究をしていて分野ごとの縦割りではこの命題は解き明かせないことが分かっている。どのように融合すればいいのか目下のところ試行錯誤の状況らしい。というようなことがこの本のカバーするところだ。著者の青山氏は毎日新聞で科学領域を扱う記者をしていた。最先端科学というのは一般の読者にとっては分かりにくいものだが、青山氏の解説を読むと少なくとも理解の階段を何段か登ったように思えた。そういう経験が何度もあった。解説巧者である。

 この本も内容は難しいのだが、何となく「これはこういうことなのだろう」という感じて解釈できるような印象を持てるところがある。AIが意識を持つかどうかについては

素人考えでは「持たない」と思う。なぜならAIには身体がないからだ。データの集積はどんなに網羅的になったとしても身体性にはリンクしない。だからもしも「AI特有の意識」を出現させることができたとしてもヒトの意識とは別物だろうし、ヒトの意識がAI特有の意識を「意識」として認識できるかどうかも分からない。

 意識の定義の問題はこれから研究が深まっていくに相違ない。定義づけすることにどれだけの意味があるのか、その必要があるのか、この本を読んでも私にはよく分からなかった。

本の感想「星をつなぐ手 桜風堂ものがたり」村山早紀

本の感想「星をつなぐ手 桜風堂ものがたり」村山早紀PHP研究所

 「桜風堂ものがたり」の続編で完結編。前の作品で主人公が働くことになった桜風堂という書店と主な登場人物のその後を描いている。街の書店が次々となくなっていくことがいわばこの物語の中核をなしている。紙の本からデジタルデータへの移行による功罪についてもあらためて考えさせられる。両者にはそれぞれのアドバンテージがあるものだからどちらかだけになることは少なくとも当面はないだろう。街の書店が減少していくことはなかなか止められない現実ではある。書店がなくなれば書店員という専門職もいなくなってしまう。ネットの世界でも様々な人たちが本の情報を提供しているからそういったデジタル・データが書店員の役割の一部を肩代わりできるのかもしれない。しかし、購入者と販売者が人と人として対面する場は失われていく。そのことはやはり社会的な損失だろうと思う。

 主人公を取り巻く状況は必ずしもいつも順調ではないものの、物語は様々な支援や新しいチャンスを示している。現実に廃業しかかっている書店の中にはもしかすると何らかの追い風が吹くこともあるのかもしれない。今日もどこかの書店が営業を終了したのだろう。コロナ対応で観光や飲食の業者には政府から一定の補助があったことを考えれば厳しい条件下で営業を守っている書店への公的な支援があってもよいのではないだろうか。書店へのアクセスがあることも社会の重要インフラのひとつだと思うから。

本の感想「先生、モモンガがお尻でフクロウを脅しています?」小林朋道

本の感想「先生、モモンガがお尻でフクロウを脅しています?」小林朋道(築地書館

 「先生、シリーズ」の16巻目。書名のモモンガとフクロウの実験も面白いのだが、以前、モモンガの幼獣がフクロウの鳴き声に逃避行動をとることを明らかにした実験があった。モモンガの幼獣には先天的(生後の学習によってではなく)にフクロウの鳴き声に逃避すると分かった。では、成長過程のいつからその行動が出現するのかを調べたのだ。実験装置は以前と同じでT字型の通路を作り、子モモンガはT字の下部から上部方向へ動いていく。分岐に到達すると片側からはフクロウの鳴き声、もう片方からはシジュウカラの鳴き声が聞こえるようにしてある。4頭の子モモンガのうちまず2頭で実験した。最初の実験ではフクロウの鳴き声に回避行動をとらなかった。1週間後は子モモンガはまだ巣箱から出てこない時期で、やはり同じ結果になった。さらに1週間ほど経って3回目の実験をした。この時点では子モモンガたちは巣箱から出て周辺を歩き回るようになっていた。すると、逃避行動が確認できた。それまで実験に参加していない残りの2頭も同様に逃避行動をとった。「子モモンガは、巣穴のなかだけで過ごしている段階までは、フクロウの鳴き声のみに特異的に反応する認知・行動系を発達させず、巣穴から出て、外で行動するようになったとき、その認知系が完成する」という可能性が高いことを実験結果は示している。このことを動物行動学が依って立つ進化理論は次のような予測をする。「認知・行動系は、それが、それぞれの生物種の生存・繁殖に有利に作用するときのみ、エネルギーを消費して(摂取した栄養を消費して)、いつでも作動できるように準備されている。仮に、その認知・行動系があったとしても、生存・繁殖に有利にならないときは、存在しなくなるように進化は起こる」ということだ。大変興味深い。