本の感想「エンド・オブ・ライフ」佐々涼子

本の感想「エンド・オブ・ライフ」佐々涼子集英社インターナショナル

 自分自身の死は一度しか体験しないことだから、その時が来ても過去の経験知を生かすことはできない。しかし、職業として終末医療に関わってきた人たちなら、その経験知は自身の死に際しても有効なのだろうか?

 このルポルタージュでは訪問看護師として医療の現場で働き、何百人もの看取りを経験した森山文則を取材している。しかも、その当人が2018年48歳の時にすい臓がんを原発とする肺転移の疑いという診断を受けた。彼はその後も看護師として仕事を継続しながら治療もする。著者はその様子と、彼自身の病気との対応の仕方についての2つのトピックを並行的に記していく。基本的に、重苦しいストーリーになる。

 終末期医療のみならず医療技術の進歩は日進月歩であり、森山はこう述べている「助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択することが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか、私たち人間にはわからない。昔なら神や天命に委ねた領域だ」実際に、彼は病状の進行の過程で、積極的な治療を中断してもいる。一般の人よりも終末医療の知識があり、自身の職業体験からもより客観的に自分の病状を分かってもいた。

 彼の所属していたのは渡辺西加茂診療所だが、そこで往診をしている早川医師は終末期医療についてキーになるのはよい医師と出会えるかどうかに尽きると述べている。「その人にとって、もっとも大切な残り時間をちゃんと考えてくれる医師と会うのと会わないのでは、全然違う。本人の意思に反する延命措置をしないことも大事ですし、臨終間際に意識をどの程度保つようにするかも、最終的医は医師の判断が影響します」

 著者はこの取材に7年間の時間をかけた。「7年間の間、原稿に書かれなかったものを含めて、少なくない死を見てきたが、ひとつだけわかったことがある。それは、私たちは、誰も「死」について本当はわからないということだ。これだけ問い続けてもわからないのだ。もしかしたら、「生きている」「死んでいる」などは、ただの概念で、人によって、場合によって、それは異なっているのかもしれない。ただひとつ確かなことは、一瞬一瞬、私たちはここに存在しているということだけだ。もし、それを言いかえるなら、一瞬一瞬、小さく死んでいるということになるのだろう。」このルポを書き上げた著者の言葉だけに信頼できる。The Long Good-by (Raymond Chandler)にこういう一文がある。"To say good-by is to die a little." 「さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ」この一文は著者の思いに通底するものがあるように感ずる。

 著者の佐々氏は現在、悪性の脳腫瘍と診断されていて抗がん剤治療を受けている。この病気の平均余命は2年に満たないと言われている。8月27日付の毎日新聞で著者に池上彰氏がインタビューした記事が載った。佐々氏はこう締めくくっている。「人生には限りがある―。それを皆さんに気が付いていただくことが、私の大事な役目だと信じています」

 佐々氏の早い回復を心からお祈りする。そして次の著作を読みたい。