本の感想「テス」トマス・ハーディ 井上宗次・石田英二 訳

本の感想「テス」トマス・ハーディ 井上宗次・石田英二 訳 (岩波文庫

 先に読んだ「イギリス小説の傑作」で紹介されていた作品の一つで、40年ぐらい前から読もうと思っていた。この度、ようやく読むことにした。日本語のタイトルは「テス」と短縮されているが、原題は  "Tess of the D'Urbervills" で「ダバヴィル家のテス」で1891年の出版。岩波文庫の版は1960年となっている。今から60年以上も前の翻訳なので、読んでみるととっくに翻訳の賞味期限切れだ。とにかく読みにくい。いわゆる「翻訳調」で当時は原文の構造を生かすという意味でこのような訳文が容認されていたのだろうと思う。今はこの方式はNGであって、完成版の翻訳の下訳の役割を果たせるかどうかも怪しいぐらいだろう。一例を示してみる。下巻の193頁。

 これは、クレア夫人が息子たちのことについて、夫の平和を乱したただ一つの愚痴だった。それでも、これをたびたび口に出すわけではなかった。彼女は、信心ふかいと同じくらい思慮ふかくて、この件については夫もまた、自分が正しかったかどうか、心中疑いの念に悩まされていることを知っていたからである。

 という具合で、「翻訳調」の典型例だ。僭越を承知で素人が手直ししてみよう。

 息子たちのことでクレア夫人には一つだけ愚痴があった。夫の気持ちを苛立たせることになるから口に出して言うことはまずなかったのだけれども。夫人は信心ふかく、思慮ふかくもあったから夫のことをよく理解していた。だからこの件については夫なりに自分の判断が正しかったかどうか自信がなく悩んでいたのを知っていたのだった。

 どちらが分かり易いか明白だろう。古典作品は新訳を作っても採算がとれないからということでなかなか出版社も取り組めないのだろうと思われる。かたや翻訳には賞味期限があるということは村上春樹氏も述べている。ご自身も新訳に取り組んでいてR.チャンドラーとかJ.D.サリンジャーなどの新訳が出版されている。「日の名残り」の訳者の土屋政雄氏はインタビューで翻訳は大体30年ぐらいで新訳に更新するべきと述べている。同氏の言うところでは「日の名残り」もそろそろその時期かもしれないと。「テス」の新訳は他の出版社からは出ているようだが、あいにく図書館の蔵書にはなかった。岩波文庫で新訳は出ていない。3~4年前に「高慢と偏見」J.オースティンを岩波文庫で読んだ時も翻訳は賞味期限切れだった。古典作品の新訳は計画的にやっていくべき事業なのだろうと思う。「ガリバー旅行記」は柴田元幸氏が最近新訳を出したという心強い例もあるではないか。